脳内整理

脈絡がありません

2019/9/27

今日の朝、寝ぼけて布団カバーと一緒に携帯を洗濯してしまった。出勤直前に携帯がないな、と思って一瞬で思い当たった。絶対洗濯機の中にある。だって洗濯機からするはずのない意味のわからない音がしていたから。

 

なんだか私はいつからか、そういう時に慌てたり焦ったりできなくなっている。予想外の衝撃的な出来事に対して心が動揺できなくなっているらしいのだ。

 

平然と、何食わぬ顔で洗濯機を止めて携帯をそこから引っ張り上げて、ボタンを押したらちゃんとついたので「おおw」と言ってそのまま急いで出勤する。の前に、銀行に行かないといけないのでいつもより少し遅れる旨を上司に伝えなければならないと思って、さっきまで洗濯機の中にいた携帯(画面に浸水して異様な光を放っている)で電話をかける。さすがiPhone、問題なく通話が終わり急ぎ足で学費を納めに銀行へ。

 

急いでいるとどこまでも心が焦ってしまって本当にダメなので、近頃は意識的にリラックスするようにしている。出来るだけ信号ではちゃんと息を整えつつ、銀行の待ち時間でしっかり肩の力を抜き、用事を終えた。この時は完全に朝の事件の事は忘れていた。

 

携帯は結構内部まで浸水してるみたいで、時間が経つたびに画面に水が広がっていく。仕事中に「あれは買い換えないとダメだな」と思い、またやる事が増えたと少し落胆。仕事はここ1ヶ月くらい不調で、今日も不調だった。ぐったぐたになって帰宅。

 

30分ほど寝て無理やり起き、大学へ。6限の民法に少し遅刻してしまった。またレジュメを持ってくるのを忘れたし、法学部にあろうことか六法も忘れた。まあ別にレジュメはオンラインで見れるし、法律もググれば出てくる。特に嘆くこともなく遅れた分の板書を写す。今日は相当に疲れているのか、内容が半分くらいしか理解できなかった。まあ物権的法律と債権的法律の違いを踏まえられていれば概ね今日の内容は大丈夫そうだ。7限は雑談だったので寝た。

 

まっすぐ帰宅しようと思ったが何だか家に閉じこもる気分でもなく、平岸のマックまできている(現在ここでブログを書いている)。

 

朝とは比べ物にならないくらいに劣化した自分の携帯をじっと見つめる。3年も使ったんだし、壊れたら買えばいいし、特別な愛着もない。それなのに、時間とともに浸水し、壊れていく自分の携帯を見て何だか本当に、ダメになってしまった。朝の余裕綽々な私は何だったのかと思うほどショックだった。

 

後悔、ショック、人との別れ、その寂しさや衝撃は一人でマックにいる時とか、寝る前とか、夜人気のない道を一人で歩いていてふと空を見上げた時とかに急に襲いかかってくる。いつもそうだ。理屈が不明。なぜか、"私は何もしてないのに"という気持ちになってくる。そして、物事に置いていかれた気分になる。誰のせいでもない(携帯を浸水させたのは私のせいだが)理不尽なことに対して私は耐性がなさすぎる。理不尽なんだから耐性があるほうがおかしいと言われればそうだが…

何で私は感じるべき時に感じるべきことを感じられないのだろう。「失って初めてその大切さに気付く」というレベルのマヌケさではない。失ったその瞬間さえ私はその痛みを感じられなくなってしまった。わからない。本当はものすごく辛いけどそれを感じたくなくて、心が無関心を貫かんとしているのかもしれない。これは逃げだ。痛みを感じたくないから、痛みそれ自体を痛みと認識しないようにしてしまっているのだ。

失ったものが携帯電話ならまだいい、私は大切な人を突然なくしたときもこんな風に逃げてしまうんだとしたら

 

あと5分でも黙ってこんな事を考えていたら本当に動けなくなってしまいそうなのでさっさとやる事をやって寝るか