脳内整理

脈絡がありません

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今年度のゼミの研究で読んだ文献の一つ。先日の中間報告でかっちりした内容の考察は終わっているので、ここでは思ったことを素直に書きます。非論理的な、感想...とも言えない「かんそー」を書いていこうと思う。特に印象に残った第三章について、そんなにたくさんは書けないと思うけどかきます。

 

【ほんぶんないよう(ざっくり)】

何が書いてある文献なのかというと、インターネット・SNSが利用者の判断にどのような影響を与えているのかということ。本書ではまずインターネット・SNSの仕組みについて解き明かすことからはじまる。

そこで取り上げられている概念として一番印象に残っているのは「フィルターバブル」という現象。これはGoogleFacebookの独自のアルゴリズムによって、利用者の嗜好に合わせたコンテンツを表示し、利用者が「見たくないであろう」情報を表示しないようにすることで、自分が見たい情報しか見られなくなる現象のことだ。

 

著者はこの機能に対し懐疑的であった。これは言い換えればメディア媒体が一人ひとりに合わせた「その人だけのもの」になっていくという仕組みだ。無論それはマーケティングにとって都合が良いことだろう。この仕組みによって私たちは大手メディアにまんまと趣味嗜好を見抜かれ、「あなたへのおすすめ」などによって購買意欲を掻き立てられたり、時には偽情報もクリック数稼ぎのために表示してきたりする。

しかし、そうと知っていながら利用し続ける人が多数いるのが現状である。

 

【感じたこと】

インターネットやSNSの進化の過程で追加されてきた機能の一つに「ミュート・ブロック機能」がある。もはやこれはデジタルネイティブの常識であって、そもそもフィルターバブル以前から人は見たくないものを自らシャットアウトしてきていると思う。

 

インターネットにおいて、見たくないものは見えなくていい。当たり前のことのように感じるけどわたしたちは同時に事実や正しい情報を知りたいとも思うもので、これらを全てインターネットに求めてしまっているというのが問題なのかもしれない。

 

私は今のデジタルメディアの諸問題は基本的に利用者側に起因してると思っていたので、ネットの仕組み自体を批判的に見る著者の主張には気付きもたくさんあったけど、「でも結局インターネットって人間が作り出したものだしな」という考え方に帰着してしまう。

インターネットは水のようなもので、人が求める形にその都度自在に変化しているだけのように思える。使っているのは人間で、人間は感情を持っているのだから、インターネットがぐちゃぐちゃになるのは至極当たり前である。インターネットを人工知能の侵略か何かのように捉える人もいるが、インターネットを人間と対になるように配置し、一概に悪い・危険と揶揄することは実は人間否定でしかないんじゃないだろうか。インターネットはあくまでも私たちが求めたから誕生し、こうなっているだけだという前提を忘れてはいけない気がした。

 

最近読んでいたメディア論関連の本は大体ジャーナリストが書いていて、デジタルメディアに対して批判的な内容のものが多かった。過去の話(歴史)を学ぶ上では参考になったけど、もう少しネットをポジティブに捉えたこれからの話にも目を通したい気持ち。ちょっと非現実的くらいなやつ。

東浩紀の一般意志2.0https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000212243

↑bass rumbleでお世話になってるWANさんがくれたので読んでみようかなーーーおわり